脱原発を機に、エネルギーを自給する。
東日本大震災による原発事故で全村避難となった福島県飯舘村。「日本で最も美しい村」連合にも加盟する自然豊かなこの村で、2014 年に脱原発を掲げ、〈飯舘電力〉が設立されました。福島県内各地で豊富な自然資源をいかした“地産地消” の再エネを推しすすめてきた、会津喜多方にある大和川酒造の九代目当主・佐藤彌右衛門さんを発起人に、千葉訓道さんが参画して設立。その後、米澤一造さんが加わりました。
「そもそも僕らは原発事故の被災者です。2011年3月11 日以前はエネルギーとは無関係だったメンバーですが、文化、歴史、郷土を自分たちで守らなければならない、という思いで再エネ事業に飛び込みました。めざすのは、やはり脱原発。原発は安心安全な唯一のエネルギーだといわれていましたが、大事故が起きてしまった。日本の風土には風、水、地熱、太陽、森林がある。再エネこそ、安心安全なエネルギーなんです。そうした自然資源のエネルギーをつくることで、原発のない世界を実現したいんです」。(千葉さん)
バーチャルツアーで伝えたいこと。
事故以前、飯舘村には約6,000人の村民が暮らしていましたが、未だ約4,500人は戻って来られていません。農業や畜産が主な産業でしたが、高濃度に放射能汚染されてしまった田畑ではかつてのような営農は難しいのが現状です。〈飯舘電力〉ではそうした農地を借り上げてソーラーパネルを設置し、売電利益からその地代を払っています。また、メンテナンスに欠かせない草刈りも、地元の高齢者たちが運営する農業団体に発注することで、帰村した村民の雇用を生んでいます。
そうした地域への還元のみならず、飯舘村の現状をへと発信する「飯舘村バーチャルツアー」も実施しています。原発事故の現実を豊富な資料や実際の映像を通してライブで配信。のべ5,000人がオンラインで参加し、生活クラブからも年間約400人もの組合員が参加しています。
千葉さんは「僕らだけでは飯舘村全体のコミュニティを復活させるなんて到底できません。しかし日本中の人たちに飯舘村の現実を知ってもらって、再エネを選んでもらうことはできる。それが脱原発への近道」だと話します。米澤さんも「事故から13 年が経ち、報道も少なくなりました。そのことに危機感を感じているからこそ発信を続ける必要がある。それが〈飯舘電力〉の使命」だと感じています。
未来のために、でんきを選ぶ。
こうした再エネへのエネルギーシフトを促す啓発活動を通じて千葉さんらが伝えたいのは「ともに社会を、未来を変えていきませんか?」ということ。原発事故で失ったものは計り知れませんが、よりよい未来はわたしたち一人ひとりの選択から変えていくことができます。そのためにも〈飯舘電力〉は再エネ発電事業者であると同時に、原発事故によるありのままの現実を伝えることで、知る機会や考える機会をも提供しているのです。
「子どもたちのため、将来のために食の安全を考える生活クラブ生協の組合員の皆さんならばすぐに理解していただけると思います。僕らは教育者ではなく、伝える訴求者。こういう世界、こういう未来にしたいという想いを聞いてもらい、いっしょに考えて、一人ひとりの行動につなげてもらう。そのためにもまずは『生活クラブでんき』へのスイッチングから始めてほしい。その先には日本が大きく変わる新しい未来が待っているはずです」(千葉さん)
「ただ電気代が安くなるというだけではなく、スイッチングの先の未来に何があるのかを伝えていかないと。E Uでは今の大量生産、大量廃棄の資本主義社会から脱却して、新しい循環型の社会へ変えていこうという動きがすでに始まっています。その中心にあるものこそ、再エネなんです」(米澤さん)
電気はどこから買っても同じに見えてしまうかもしれません。しかしそれは本当に安心安全なものでしょうか? 食と水とエネルギーは、人類が生きていく上でなくてはならない大切なもの。それを料金の安さで選ぶのではなく、コンセントの先につながる現実をしっかりと見つめ、よりよい未来へとつながる電気を選ぶ大切さを〈飯舘電力〉のお二人は教えてくれました。
※この記事は2024年10月4回(43週)発行生活クラブOPINIONの記事を転載しました。