1. NPO法人原発ゼロ市民共同かわさき発電所の成り立ち
2011年3月11日、福島原発事故。未曽有の人災を受け、命より経済を優先させてきた戦後の原発依存に終止符を打つべく、人々は全国各地で立ち上がり、反原発の声を上げ始めました。川崎でも、反対運動が自然発生的に各地で起き、そのネットワークとしての「原発ゼロへのカウントダウンinかわさき」集会には、毎年1,000名以上が集い、脱原発の決意を誓い合いました。
しかし、脱原発運動は衰退する一方、原発の安全神話は再構築され、再稼働が進められています。そんな中、もう、利益優先の電力会社に頼るのは嫌だ!自ら原発に頼らない再生可能エネルギーを作り出して、普及させていきたい!そう決意した人々が市民共同発電所を建設する動きが、全国各地に無数と広がりました。川崎でも、反原発運動をしていたメンバー中心に、そんな想いを持った人々が立ち上がりました。それが、「NPO法人原発ゼロ市民共同かわさき発電所」です。
2. 脱原発運動のネットワークで完成した1号機
建設協力金800万円を出し合い、2015年2月1日、中原区のマンション屋上に、ソーラーパネル100枚を並べ、原発ゼロ市民共同かわさき発電所1号機が完成しました。
市民共同発電所を作る上で、最初にして最大の難関は、場所の確保です。川崎のような都部では、大きい建物の屋上にソーラーパネル設置を検討せざるを得ません。場所の目途も立たないまま、「動かなければ始まらない!」と、キックオフ集会を開催しました。そこに、これまで一緒に脱原発運動を闘ってきたメンバーが参加していて、川崎市中原区のマンション屋上の提供を申し出て頂いたのです。現地調査にいったメンバーは、喜びました。広さ、設備とも絶好の条件の屋上だったのです。脱原発運動のネットワークが活き難関をクリアしました。
建設費用の集め方も、メンバー1人1人の職場や地域のつながりで、「原発をなくすために市民で発電所を作りたい」と想いを語って協力をお願いし、医療生協の組合員や先生方を含め志ある方から出資いただき、800万円の募集は2か月で達成しました。
こうして、2014年3月30日キックオフ集会で開始し、2015年2月1日、1号機の通電式を行いました。脱原発に燃えるメンバーが、特技・能力を発揮し、川崎市民の共感と協力を得て完成した1号機。川崎市民の希望が打ち立てた「脱原発の旗」は、いつまでも輝き続けます。
3. 2号機の電源で「おひさまフェス×星空上映会inかわさき」を開催
2015年8月11日、九州電力川内原子力発電所1号機が、国民多数の反対を押し切り再稼働しました。他方、同じ日に、原発ゼロ市民共同かわさき発電所2号機が、完成しました。川内原発の再稼働と重なる、宿命の誕生となりました。
2号機は、川崎市高津区明津に流れる、美しいせせらぎ沿いにある、「グループリビングCOCOせせらぎ」の屋上に設置されました。永く原爆の被爆者訴訟の支援をされていたオーナーは、原発にも反対するという強い想いをお持ちでした。私たちが、原発をなくすために、市民の力で再生可能エネルギーの発電所を作りたいという想いを伝えたとき、すぐに、提供を申し出て頂きました。
2号機は、ソーラーパネル66枚、最大16.5キロワット(家庭用エアコン約30台分)の発電出力です。建設費用は500万円。原発を無くしたいという想いをもつ市民のみなさんから、建設協力金1口10万円を、売電利益で、10年後、無利子でお返しする方法で出資いただき、無事集まりました。
2号機で発電した電力は、再生可能エネルギーを使ったお祭り「おひさまフェス×星空上映会inかわさき」で使うため、太陽光パネルで発電した電気を、電気自動車に充電し、多摩川河川敷の会場まで運んでいます。自然エネルギーを使った川崎ではじめてのこのお祭りは、2015年にスタートし2017年まで3回続き、来年も開催予定です。お祭りは、地域で人々をつなぎ、参加者した市民に原発に頼らない生活を考えるきっかけとなっています。
4. ㈱生活クラブエナジーへ売電開始
2017年4月より、1、2号機で発電をした電力は、㈱生活クラブエナジーに買い取っていただいています。福島原発事故後、全国各地に無数に広がった市民発電所は、ネットワークでつながり、原発推進勢力への対抗軸となろうとしています。エネルギーは、国益や電力会社のためにあるのではなく、私たち一人ひとりのためにあるべきものです。エネルギーを市民の手に取り戻し、市民の市民によるエネルギー革命を実現し、本当の民主主義を実現するために、あゆみを止めるわけにはいきません。私たちが今後安心して暮らしていけるように、未来の子供たちに綺麗な地球を残していくために自然エネルギーの普及をより一層頑張っていきたいと考えています。 理事長 川岸卓哉