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でんきのはなし

Special Interview ピーター・バラカンさんが〈生活クラブでんき〉を選び、利用し続ける理由とは?【前編】

生活クラブに入会したのは原発事故がきっかけだった。

ピーター・バラカンさんが生活クラブに加入したのは1987年、チョルノービリ原発事故の翌年のことでした。原発事故の影響は世界中に広がり、遠く離れた日本で生産された食品にも放射能が検出される事態に。ちょうどバラカンさんの妻が最初の子どもを妊娠した頃とも重なり、テレビ番組で生活クラブの消費材が紹介されていたのを見た妻から相談され、すぐに入会したのだといいます。当時はまだ個別配送ではなく、班配送にバラカンさん自身も参加していたそう。

「生活クラブは、普通にスーパーで買う食材より高いわけではないし、生産者と直でつながって、添加物のない、あるいは極めて少ないものばかり。最初はうちから歩いて2、3分ぐらいのところに班があって、週に1回、女房が忙しい時は僕が行って、卵1.5kg、ジャガイモ1kgを計って分けたりしてね。すぐにルーティンになりました」

東日本大震災後、電力の自由化が始まった際には、生活クラブが電気の供給を開始することを知り、2016年の開設当初から〈生活クラブでんき〉の利用もスタートしたといいます。

「いくつか電力会社があってどこがいいかよくわからなかったんです。毎週、生活クラブの注文をしている女房が〈生活クラブでんき〉のチラシを見つけて、再エネの電気を始めるなら、これだねって。長年、生活クラブの組織の姿勢は分かっていたから信頼できるだろうと、悩まずに決めました」。


原発ではなく、再エネを中心としたエネルギーの選択を。

福島の原発事故から14年が経った今年になって、政府は再稼働や新増設など、原発を最大限活用する方向へと転換。原発に頼ることなく、日本のこれからのエネルギーのあり方を考え直すためにも、再エネを中心とした電気を選択することをバラカンさんは提案します。

「スリーマイル島もチョルノービリの事故も起きて、どの国でも100%原発が安全ではないということは昔からよくわかっていました。しかし、日本ではあたかも原発が安全だと長年いわれてきたわけです。特に日本は地震が多すぎる。新潟県・柏崎刈羽原子力発電所は活断層の真上に建っているし、南海トラフの影響を受ける場所に原発がどれだけあるか。大飯原発の運転停止命令を下した裁判長のドキュメンタリー『原発をとめた裁判官』という映画を見てもわかりますが、日本の地理がいかに原発が向いていないかがよくわかる。原発がある限り、将来の安全を担保できたものじゃない。〈生活クラブでんき〉のように再エネ中心で考えていかないと」



バラカンさんが脱原発ではなく、反原発な理由とは?

バラカンさんが幼少期を過ごした60年代のイギリスでは、核兵器反対運動が活発だったそうです。74年に来日してからは、広島、長崎の原爆の問題にも関心を持ち、79年に起きたスリーマイル島原発事故後にニューヨークで開催された伝説的なコンサート「No Nukes Concert」の頃には原発の危険性を意識するようになり、以来ずっと、反原発を掲げてきました。

「僕の場合、脱原発というよりは反原発。原発は『トイレがないところにうんちを貯めるようなものだ』と例えた人がいて、最初は当たってるなと思ったんだけど、最近、考えが変わりました。うんちは有機物だし、臭いけれど肥料に使えば毒ではない。それに比べて、放射能は匂いもないし、目に見えないからわからない。日本人の一種のラッパー、ランキン・タクシーの歌に『誰にも見えない、匂いもない』という放射能の歌がありました。あれは画期的だった。89年、チェルノブイリの後につくった曲で、2011年には一部の歌詞を変えて新しくつくったものもあります。僕が原発に反対する理由は、放射能の汚染も恐ろしいですが、たとえ事故が起こらなかったとしても、核廃棄物は処理のしようがないから。これが決定的なことだと思っています。フィンランドでは核廃棄物を永久凍土に埋める最終処分施設がつくられていて、そこは地震は起きないといわれているけれど、それでも何万年持つのかは誰にもわからない。核廃棄物を処理するのに世界中のどこにも安全な場所なんてないにも関わらず、原発を使い続けることはどれだけ無責任なことか。処理に費やす莫大なエネルギーとお金を再エネに切り替えれば、そっちの方がうまくいくと思います」

 核廃棄物が無害化されるまで、およそ10万年という途方もない時間がかかるといわれています。人類の誰もその最後を見届けることができないからこそ、無責任に未来へ後回しにすることなく、今、私たちにできることを選択しなくてはいけないのではないでしょうか。


きちんと「知る」ためにメディアとどう向き合うべきか。

そのためにも、私たちは「知ること」をやめてはいけないと考えます。数々のメディアに関わり、ブロードキャスターとして、自分の言葉で発信するバラカンさんに、メディアとのつき合い方についてもお聞きしました。

「どういうメディアを選べばいいか……今の時代は本当に難しいと思います。情報過多の時代だから、一人ひとりが選ぶことが大事。僕自身、メディアの仕事をしながらも、ほとんどテレビを見なくなりました。ウェブメディアにSNS、YouTubeを始めとする動画メディア、今はAIもあるから、どれをどこまで信頼していいのか……本当に難しい。特にSNSは、僕も何度か情報を鵜呑みにしてしまい、後から違っていたこと知って。おそらく誰でも経験があると思います。今はますますインターネットの時代になっていて、多くの人が見ているプラットフォームはYouTubeなのか、TikTokなのか、世代にもよるでしょうけど、若い世代はコンピュータも、CDプレーヤーも、テレビも持たず、スマートフォンがすべてという人が多いみたいだから。そういう人たちに、どうやって意識を持ってもらうか。20歳の頃の僕もノンポリだったし、若いってそういうことなのかもしれないですけれど。でも、僕らの時代は少なくとも、公民権運動やベトナム戦争など、いろいろな問題が存在することを否応なしに知っていた。今、スーダンやミャンマーやイエメンで何が起きているか。自分の生活に直接関係なくても、間接的には関係してきます。世界で起きていることに対する好奇心をもう少し持って、自分の生活に関わることや自分の家族や、未来を生きる子どもたちに影響することに、もっと想像力を働かせる必要があるのではないでしょうか」。


撮影:加瀬健太郎 文:薮下佳代

<後編に続きます>