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でんきのはなし

金子勝さんが訪ねる 自給と循環の生まれるところ 第一回

第一回 3 人の知恵者が集った! 前編

福島県喜多方 地域主導の「自給循環型経済」

原油と天然ガス価格は高止まり。世界各地のきな臭さは増すばかりで、一向に資源高は改善されそうにありません。テレビもネットもグルメ番組満載で、食料不足など思いもよらないことですが、安閑としてばかりもいられないような方向に進んでいるような……。こうしたなか、福島県の喜多方地方では「食とエネルギーの地域自給」に向けた具体的な取組みが進んでいます。現地を慶應大学名誉教授の金子勝さんが訪ねました。(前後編に分けて掲載します)

始動した「生産する消費者」が育てるワイナリー

黒々としたブドウを丁寧に選びながら、一房一房をハサミで切ってかごに入れていく。収穫されているのは「国豊(コクホウ)」という品種で、山ブドウとの交配種。無農薬で栽培されているからだろう。虫除けスプレーを使わないと、たちまち虫に刺されてしまいそうだ。

収穫作業を担うのは会津電力(福島県喜多方市)の雄国(おぐに)太陽光発電所の見学を終えた生活クラブ生協神奈川(本部・横浜市)の組合員で「こっちゃこ倶楽部」の会員たちだ。作業を指導する地元農家の佐藤次幸さんは「今年のブドウは出来がいい」と満面の笑みを浮かべる。こんなに見事なブドウが農薬や化学肥料に頼らずにできる理由が知りたくて、佐藤さんに園地の耕し方や堆肥の施し方を尋ねてみた。すると「冬場は雪が降る関係で、土壌中のバクテリアが死んでしまいます。いろいろと試行錯誤を重ねましたが、結局は自然農法に近づきました」と朗らかな声が返ってきた。佐藤さんの有機・無農薬・減農薬農業へのこだわりは半端じゃない。ブドウ栽培はもとより、現地の農法を学びに毎年イタリアに足を運ぶほどだ。

佐藤次幸さん

「こっちゃこ倶楽部」のみなさん

収穫を終えた「こっちゃこ倶楽部」の会員たちは「WINERY JUN(ワイナリージュン)」に移動し選果作業、痛んだ果実を取り除いてからブドウを粉砕する作業にいそしんだ。通常、どこのワイナリーも工場内への雑菌の侵入を防ぐため、ガラス越しに製造現場を見学するのが当たり前とされている。しかし、ワイナリージュン社長の山田純さんの考えは違う。山田さんは「欧州のワイナリーは農家の奥さんが足でブドウを踏む作業をしていたし、みんながわいわい一緒に作業をしていたんです」と自ら先頭に立って参加者と汗を流す。現在、ワイナリーが入っているのは以前は結婚式場が入っていた建物で、製麺所が経営するラーメン店のスペースを会津電力グループが購入して改築した。なるほど、ワインの醸造タンクをよく見ると、もとはラーメンのスープを貯蔵するためのものだったのがよくわかる。まさに消費者の知恵。余分なコストはかけずに使えるものは工夫して使うという手作り感に満ちたワイナリーだ。

「こっちゃこ倶楽部」と会津電力との関係は2021年から。雄国太陽光発電所(270ワットのパネル3740枚)から生活クラブ生協の関係団体である「生活クラブエナジー」(東京都中央区日本橋)が、再生可能エネルギー(再エネ)電源から生まれる「生活クラブでんき」を購入したのが2018年。さらに2021年5月には生活クラブ神奈川と会津電力グループ各社<アイプロダクツ(株)、(有)大和川ファーム、(株)プロジェクト会津、合資会社大和川酒造店>の間で連携推進協議会を立ち上げた。このとき誕生したのが「こっちゃこ倶楽部」だ。以降、会津電力の自然エネルギーの発電所を見学し、ワイナリージュンの作業を手伝うプログラムを継続してきた。この関係性が有機・無農薬・減農薬農業を支援しつつ、ワイン醸造にも都市部の消費者が直接参加するという「生産する消費者」の一つのモデルになろうとしている。

創業から233年の歴史背負い、時代の波と闘う9代目

会津電力がある喜多方市の地域づくりは独特かつ力強い。それを支えるのが見事というしかない経営手腕を発揮する3人の人物だ。彼らは出会うべくして出会い、一緒に事業を遂行している。その中心的存在が江戸時代中期の1790(寛政2)年創業の酒蔵「大和川酒造」9代目の佐藤彌右衛門さんである。彌右衛門さんは日々酒を陽気に楽しみ、何とも人懐っこい表情を浮かべてはからっと笑う。この笑顔の奥底に伝来の家業という重い伝統を背負いながら、常に時代を先読みし、並外れた決断力で経営困難な状況を打破してきた強靭(きょうじん)な魂が宿っている。大和川酒造の経営が必ずしも芳しくなかった1990年、近代的設備を備えた飯豊蔵(いいでくら)を新設した。多額の借金を抱えたことから、周囲には潰れるのではないかと噂さする人も少なくなく、先代からは「200年も続いたんだから潰れてもいいだろうと言われたよ」と笑う。

佐藤弥右衛門さん

酒販店向けの販売に加え、直販方式を始めた先代は「蔵の町」という街並保存運動に参加した。これに倣い、彌右衛門さんは飯豊蔵の新設が終わると、既存の蔵を「北方風土館」として観光客に開放。同館での酒の販売にも取り組み、売り上げを伸ばした。酒販店からは嫌がられたが、産直団体や生協と提携するとともに、ダイレクトメールを使った注文方式も導入するなどの工夫も重ねた。こうして大衆酒の大量生産方式と酒販店販売専門の業態からの転換を図った結果、喜多方市の酒造メーカーで第2位の生産量を確保し、販売量の4割が直販となった。

良い日本酒づくりには原料米を大事にする精神が欠かせない。1983年、彌右衛門さんは地元の旧熱塩加納村(あつしおかのうむら)で有機農業を営む小林芳正さんから助言を受け、酒米の契約栽培を始めた。12月の純米しぼりたての新酒の販売が軌道に乗り、資金回収ができるようになったのを機に、契約農家から酒米1俵(60キログラム)を3万8000円で購入することにした。ところが、冷害の影響を受けることもあれば、農家が契約を違えて農薬を使うなどのトラブルが続く。そこで彌右衛門さんは「喜多方ふれあい農園」(現・大和川ファーム)を1998年に立ち上げ、13ヘクタールの水田で自らコメづくりに乗り出したという。

いまでは酒米以外のコメ直販事業も展開し、水田の面積は55ヘクタール、そばが8ヘクタール、ワイン用ブドウが2.5ヘクタールの経営規模に達している。2012年に精米機を導入、2021年にはコメの乾燥調整施設であるライスセンターも完成した。いまでは米ぬかや酒かすで作った肥料を地域農家に提供し、籾殻(もみがら)からバイオマス発電にも用いられるシリカを生産するなど循環型農業を目指しつつ、作業の軽減化と労力確保に役立つスマート農業の導入も検討している。

大和川酒造の経営モデルの大きな転機となったのは2011年3月11日の福島第1原発事故だ。2010年末、 彌右衛門さんは飯館村の「までい大使」に任命された。「までい」とはゆっくり丁寧を意味するお国言葉で、飯館村で育てた酒米「美山錦」を原料とする純米吟醸酒づくりを依頼されていた。原発事故を機に大和川酒造の酒を応援買いする動きが起こり、大いに助けられたものの、飯館村の「までい酒」はぱったりと注文が入ってこない。「これで200年続いた大和川酒造の歴史が終わると思った」と彌右衛門さんは当時の胸中を語る。

こうしたなか、2011年11月11日から13日にかけて福島大学で「ふくしま会議」が開かれた。原発事故に直面した福島の状況を世界に向けて発信するための国際会議だ。そこで彌右衛門さんはワイナリージュン社長の山田純さんと出会う。二人は2011年7月に開かれたエネルギー学者でNPO法人「環境エネルギー政策研究所」所長の飯田哲也さんの講演会で面識こそあったが、ふくしま会議での再会を機に「ともに再エネ電源の開発と再エネ供給に尽力しよう」と意気投合。会津電力の立ち上げに向けて動き出す。230年以上続く酒蔵の9代目にとって、まったく違った分野への進出だった。

元外資系IT企業社長と建設土木のエキスパートが

山田純さんにとっても異分野への挑戦だった。山田さんは福島高校から東大工学部電気電子工学科に進み、1978年に松下通信工業(現パナソニック)に就職した。屋内では内線電話のように使え、屋外では携帯電話として使えるような先端的な通信システムを考案し開発を進めていた。その後、1995年に同社を退社。米国でベンチャー企業に勤務するも、3年ほどで勤務先が経営破綻し失業した。知人の紹介で1998年に米国の通信技術会社「クアルコム」に入社し、2005年に同社の日本法人「クアルコムジャパン」の代表取締役社長に就任。2008年には代表取締役会長に就任した。クアルコムは携帯通信機器のための半導体開発を世界的に主導し、現在はスマートフォン向けプロセッサー(集積回路)製造の最大手に成長している。

事実上、外資系通信企業役員の身分を捨て、会津電力の設立と同時に副社長になった山田さんが、同社の代表取締役社長になったのは2019年。現在は会長職に就いている。福島県出身。原発事故を目の当たりにして「何とかしないといけない」という激しく心を揺さぶられ、電気をつくるなら原発ではなく「再エネで」との強い思いを抱くに至ったという。再エネ事業構想の具体化に尽力する傍ら、ワイナリージュンを運営するアイプロダクツを2015年12月に設立し、代表取締役社長になった。なぜワインなのか。「幼いころに川俣町の田園風景のなかで暮らした経験があること、会津喜多方で山を見ていると、かつて欧州で見た山の斜面にブドウが植えられている風景が連想されたから」と言う。

山田純さん

米国でベンチャー事業の可能性を追求する道を歩み、外資系通信企業の経営者を務めたと思えば、会津では再エネ事業を具体化し、いまや自ら先頭に立ってワイン醸造に注力している。技術者固有の冷静な振る舞いと静かな佇(たたず)まいからは想像できないくらい思い切ったベンチャー精神の持ち主というほかない。「原発事故がなければ、そのままクアルコムで経営者にとどまっていたかもしれない。原発事故は多くのものを失わせたが、人生のうえでは得がたいものも得ることができている」。そんな山田さんの言葉が胸に響く。

時代の先を読み、大胆に事業を展開してきた彌右衛門さん。外資系通信企業で経営者経験を持つ山田さん。そこに一見地味に見えるが、欠かせない役者がもう一人加わった。地元ゼネコン唐橋工業所に勤めていた磯部英世さんだ。地域の消防団長を務め上げたこともあって、地域の信頼は実に厚い。唐橋工業在籍中には大和川酒造の精米所や飯豊蔵の建設にも携わった。同社が自主廃業を決めた2008年に大和川ファームに転職する。「もとが農家出身なので抵抗感はなかった」と言う。磯部さんの転機も福島第1原発事故だ。同ファームも「風評被害」に悩まされた。だから太陽光発電で電気をつくることに一片の迷いはなく、会津電力の専務取締役も引き受けた。同ファームの規模は着実に拡大し、ライスセンターの新設によって酒米だけでなく、うるち米の直販事業も手がけられるようになった。

磯部英世さん

会津電力では電源建設のための認可手続きの進め方など、建設会社に勤めていた経験が生きる場面が多かった。そんな磯部さんを太陽光発電事業の経験がある部下の折笠哲也さんが支えた。現在、磯部さんは同ファームの社長職を譲り、会津電力の社長となっている。会津電力はメガソーラー中心ではなく、小規模だが太陽光発電所が88カ所6107キロワット、小水力発電が1カ所38キロワット、合計6145キロワットと1872世帯分の電力を供給できるようになった。東北電力が系統接続に法外な接続料を要求するようになって経営は苦しいが、2020年12月に会津電力が自ら電力を売る「会津エナジー」を設立し、SDGs推進の一環にと同社の電力を購入する役所や企業も出てきた。大胆な思いつきだけでは事業計画はうまくいかない。それを着実に実現していく実行力を持つ、磯部さんの力が不可欠なことを彌右衛門さんと山田さんは、この上なく知り抜いている。

かねこ・まさる
1952年東京都生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。現在、淑徳大学大学院客員教授、慶應義塾大学名誉教授。『平成経済衰退の本質』(岩波新書)『メガリスク時代の「日本再生」戦略「分散革命ニューディール」という希望』(共著、筑摩新書)など著書・共著多数。